璃理子/Ririko

Works制作実績

  • 2024

    Forgive to stop

    夏休みは定時で帰れる。
    長い長い長い渋滞。
    迫りくる大きな入道雲を見つめつづけた。
    こんな雲が見える日は、空気がベタベタと肌にまとわりつく。
    控えめにかけたクーラー。ダラダラと流れる汗。
    不快感とイライラを全て飲みこんでしまいそうな大きな雲だった。

    普段ならすいすい進む道を、2倍近い時間をかけて帰る。
    何か有意義に使えるということもない。

    もう何度目の赤信号だろうか。
    "止まれ" "止まれ" "止まれ"…
    私は進みたいのかもわからなくなっていく

    そしていつしか"止まれ"という命令は
    "止まっても良い"という赦しへと変わる。

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  • 2019

    「絵画の魔法/Painting is form of magic」東京芸術大学大学院修了論文【要旨】

    「なぜ人は絵を描くのか?」という根源的な問いから、個々の絵画制作における動機や目的まで、私たちは常に描画という行為の意味を探求してきた。この問いは、人生や存在に対する問いと同様に、確たる答えを持たず、厄介で深遠なものである。私自身は、この問いに対して「魔法」という概念を私なりの回答としている。
    絵画には多くの限界がある。たとえば、目の前の具体的な困難を解決することはほぼ不可能だ。しかし、確かに私という一個人を救済している。私を救済する絵画の「魔法」とは何なのだろうか。ここで言う「魔法」という概念は、絵画が持ち得る力として、私が個人的に用いているものである。個人的なものであっても、一般的な考察が不可能だとは限らないと考える。 本論文は、無意識に制作の中で重要視していた「魔法」という概念を考察し、絵画の存在や自分の制作について深く理解することを目的としている。
    第一章では、「魔法」の存在とその働きについて論じる。魔法を論じるためには、まずその存在を示す必要がある。個人的な経験や社会通念、フィクションにおける魔法などを用いてその存在を定義した。サンタクロースの例を挙げると、信じる者には真実であり、信じない者にはフィクションでしかない。魔法も感じられる人には現実に存在する。魔法は演劇的な真実性と似た方法で現実に存在するが、演劇とは異なり、信じるかどうかに関わらず無自覚に鑑賞者の変化として現れる。
    第二章では、絵画に内在する「魔法」について具体的に考察する。魔法が「まなざしの次元の変化」であり、その発動が鑑賞者に依存することを前提に、絵画における魔法を解明する。魔法が「ごっこ遊び」や「メタファー」といった構造を通じて発揮されることを探り、想像力やメタファーが絵画の魔法を解き明かす手がかりとなることを述べる。
    第三章では、制作と魔法概念の相互影響を考察する。これまで、自分の想像力を他者に伝えることが魔法であり、魔法=想像力だと考えていた。しかし、作家と鑑賞者との関係において、より相手の想像を喚起し、視点を転じる表現方法が必要であると感じた。そのため、修了制作では神話や象徴主義を用い、自分のストーリーを絵で語ることを目指している。これまでの制作で培った色味や表現方法に加え、言語表現と視覚表現を融合させた新たな表現方法を探求する。
    この研究を通じて、魔法の力とその発揮方法についての理解を深め、今後の制作における新たな視点を提供することを目指している。

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  • 2018

    ちょっとしたダイエットを兼ねて

    ご飯を食べないで絵を描いていると、確実に自分の血肉を消費しながら絵を描いている実感を得られるのがいい。これは食べたご飯が自分の血肉になっているのを実感する快感とはまた別のものだ。自分の命みたいなものを削りながら絵を描いているとそれが絵に乗っかるような気がするのだ。勿論こんなのはヒロイスティックでマゾヒスティックな感傷で自己満足なのだけれど。
    でもそれとはなにか違うところで、何かを感じながら絵を描くというのは大切なことだと思う。悲しい時に描いた絵なのか、嬉しい時に描いた絵なのか、そういうのは結構如実に画面にでる。それは悲しみを表現しようとした絵や幸福を表現しようとした絵とは根本的に違う。むしろただの静物画なんかの方がそういう空気観に敏感に反応するような気がする。

    だから私は、別にただのヒロイズムでもいいやと思いながら、ちょっとしたダイエットも兼ね、食べずに絵を描いている。何かが宿ればいいなと思いながら。

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  • 2016

    少女という時の去って

    少女という時の去って
    ただの女は荒野にひとり
    そこにもはや夢はない
    砂糖菓子のきらめきも
    放課後のベルのときめきも
    時がつれていってしまった
    ただの女は荒野にひとり
    少女という時の去って

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  • 2016

    在る夜、25時

    ねえ
    この部屋のあかりを
    何をおもって見ているの。
    気がつかなかったなんて嘘。
    気にしていないなんて嘘。
    私がここに在ることに
    気がつきたくないという風に、
    でも気がついてしまっていて、
    知らないふりをしている。
    そして私もそのことを
    ラジオのヴォリュームそっとしぼり
    耳をすまして感じるの。
    あなたはきっとそのことも
    きっと知ってて知らんふり。

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  • 2016

    Nostalgism

    おとなになるということは
    忘れるということだ。
    楽しみの影に鬱々と
    いつでもついてまわってる
    あの絶望のあったこと。
    それを忘れることなのだ。
    その絶望はいつだって、
    死というものと親密に
    私のなかにすみついて
    おびやかしたというのに。
    おとなになるということは
    ぞっとするほどかなしくて
    そしてやさしいことだった。

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  • 2011

    夢望悼

    それでも地球はまわってる
    それでも地球は回ってる

    例えば君が死んだとしても
    例えば僕が死んだとしても
    それでも地球がまわってる。

    それでも地球は回ってる
    たとえば僕は愛しても
    たとえば君は憎んでも
    たとえば神は寝ていても
    それでも地球はまわり、まわる。

    それでも地球は、地球は、地球は、

    例えばそこに事実があって
    例えばそこにはそれしかないのに

    君は笑って僕は泣こうぞ
    僕は笑って君は泣こうぞ

    つまり地球はまわっているのだ。

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